色眼鏡😎

冬休み、謎の焦燥感半分、同級生の多くが夜遅くまで行く「塾」という場に対する好奇心半分で親に頼み、ありがたいことに冬季講習に行かせてもらった。

初日、池袋駅で存分迷子になってから(出口ありすぎ)人生で初めて"大手塾"と呼ばれる場所に踏み込む。教室に上がるエレベーターに乗ると、知らない先生に笑顔で話しかけられた。

「文系さん?」

文系というフレーズがさん付けされるのを初めて聞いたこと、自分のことを明確に「文系さん」と認識したことがなかったことから一瞬困惑してしまった。なんとか頭を追いつかせてはい文系さんです、と頷く。

「そうか、頑張ってねー!」

先生は満面の笑顔で、手を振りながら4階で降りていく。なんだか可笑しくて、マスクの下でくすっと笑ってしまった。

彼にとって、私は永遠に「文系さん」なのだ。頑張ってね、とは多分教室を探すの頑張ってね、ではなく大学受験頑張ってね、なのだろう。「塾」という高校生の大学受験対策、という共通項で人が集まる場であることを考えると当たり前だ。目の前にいる初対面の相手を「文系」「理系」という基準で判断するのもわかる。

それでも、12月27日の池袋駅周辺、建物を一歩踏み出て道を歩く誰かに「頑張ってね」と言ったらそれはどんな意味合いを持つのだろうか。不信感を抱かれたり、嫌味だと思われてしまうのかもしれない。ましてや、「文系さん?」なんて聞いたらこっちが心配されるのだろう。

その当たり前の事実が、何かどうしようもなく可笑しかった。


最近、美大生や制作活動に興味を持つ若者が集う無料開放の自習室によく遊びに行く。

通信高校に通うミュージシャンや、丸メガネをかけた写真専攻の大学生が机を囲んで座る、「カルチャー」という単語から連想されそうな光景だ。私は毎回学校帰りに制服で行って、自分浮いてるなーと思って楽しんでいる。

彼らはそれぞれ自分の書く文章や、撮る写真の価値が自分自身の価値であるように話す。周りの人の中での自分とか、それでも守りたい自分がどのように作品に生きているのかとか。

私の勝手な感想だけれど、彼らは「自分」というものに周りとは違う特異性と価値を見出し、その上で人に愛されることにどこか取り憑かれているのだろう、と思う。(みんなある程度そうだろうけど、アウトプット重視なのが面白い)

彼らにとって「君たちが目指すべき東大京大一橋はねー」とか熱く語っている塾講師の意見はどうでもいいのかもしれないし、守るに値するものではないんだろう、とか話を聞いていて考える。むしろ、この場ではそんな学歴社会的な評価を覆していくことに「良さ」の軸を置いているのかもしれない。

(それと逆に、塾講師の言葉にうんうんと頷く高校生にとって、「自分の作るものの価値」みたいな話はほとんどの場合どうでもいいのだろう)

芸術高校でもなんでもない私は普段全く見ない世界だし、ついていけない時もある。

それでも、塾のエレベーターで感じた同じくすぐったい可笑しさと共に何か心地の良さを感じる。

自習室にいる彼らに「頑張ってね」って言ったら、何のことだと思うんだろう。制作?自己表現?その部屋の中にいる時の自分は、「何さん」なんだろうか。

 

古本屋をひっそり運営する老人、好きな人に好かれたい高校生、砂で絵を描く社会人、カレーを極める店長。そんな人たちは、大切にしたいものが同じな訳がない。

それぞれの人と場に当たり前が存在し、守るべきものがある。家みたいだなあと思う。

社会の色々な集団はそれぞれ違う色で違う形の家に住んでいて、その家に入れば、意識的であろうとなかろうと何かしらの色眼鏡がかけられる。判断基準だったり、取る選択肢だったり、大切にするものだったり。

自分の家にいれば家の中のことしかわからないし、近所の家が窓からちょっと見えたりしても中に何があるのか、何が起きているのかは全くわからない。他の家に遊びに行ったりしたら、戸惑うことも多いだろう。

何が良いとか悪いとかいう話じゃない。ただ単に見ている景色が違う。

もちろん、ほとんどの人はいくつか家を行き渡って色眼鏡(サングラスとかもあるのかな)を複数手に入れて生きているだろうし、一生とにかく走り回って試しまくる人もいるだろうし、必死に今の自分の眼鏡を取ろう、外に出ようともがいている人もいるのだろう。人がどう世界を見ているのか、外からはわからない。(もしかしたら塾講師も深夜はDJしてるのかもね)

別に、何でもいいと今は思う。

個人的に、1つでも自分以外の家に行ってみる方が誰かを傷つける可能性は低くなると思う。

でも、生き方としては色々な家に行ってみて価値観の欠片を頭の引き出しに集めていく面白さもあるし、一生自分の家で安心して暮らす幸せもある。

人の家を「汚い」と指差したり、入って行って「これはなんだ」とぐちゃぐちゃに荒らしたりしなければ、好きにすればいいんじゃないかな。

 

*文章だといかにも俯瞰的な視点持ってますみたいな雰囲気出しちゃったけどそうじゃないです、眠いのでその話はまた今度